大須シネマでサイレントホラー映画『カリガリ博士』をピアノ伴奏付きで見てきたヨ!

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体験・レビュー

みなさまこんにちは。

今日、友人に誘われて大須シネマにて開催されたピアノ生演奏で観るサイレント映画「ゴシックホラーの世界」なるものに行ってきた。タイトルの通り昔のサイレント映画を目の前で弾くピアノの伴奏と共に楽しもうという上映会である。ぶっちゃけめちゃくちゃ興味があったわけでもないがせっかく誘ってくれたし、自主映画を作っている身としては映画は映画館へという意識があったので重い腰を上げて行ってきた。

一応私は劇場ブロガーだと勝手に思っているのでいい機会だと思いこの記事を書くことにした。まあ劇場といっても普段はストリップ劇場のレビューを書いているんですけどもね!!

さて、劇場最寄りの大須観音駅を降りて、階段を上る。その日は梅雨もまだ来ていないというのにとてつもなく暑かった。汗が止まらない。太陽がぎらつく。あまりの暑さにスタスタと先へ進む友人に内心「歩幅ぐらい合わせろよ」と苦情を言いたくなったが、「脚が短いあんたが悪い」と言い返されるのがオチなので離されないように必死についていく。

そうこうしているとお昼の3時過ぎに愛知県は名古屋市、大須商店街内にあるちいさな町の映画館「大須シネマ」へと到着。劇場外にはシネフィル風貌のお客さんが今か今かと入場を待ちわびていた。そして友人があらかじめ買っておいてくれたチケットを受け取りいざ劇場内へ。

数年前に来た時より椅子がシネコンの椅子になっていた気がする(昔に座ったのは確かただのちょっといいパイプ椅子だったので、その当時は大学の映画サークルの上映会に来たような気分だった。)。なので心の中のザコシショウが「ええやんええやん!」とドラを鳴らす。

お客さんは満員でチケットも完売したようだ。サイレント映画かピアノかホラー映画はたまたドイツ映画か、どれが観客を惹きつけたのかは分からないが、シネフィルに物凄く刺さりそうなその組み合わせが満席という状況を生み出したのだろう。

私が見たのは『カリガリ博士』という1920年ドイツ産のサスペンスホラー?だったようだ。最初に友人に誘われたとき、送られてきたスクショの画像をちゃんと見ていなかったのでカリガリという名前をガリガリという形容詞と読み間違えており、「ホラー映画」「夢遊病」という情報も相まって、ずっと映画『マシ二スト』のホラー版かその映画の元ネタぐらいにしか思っていなかった。実際に見たら全然違った。

あらすじ等は怠いので各自ググってほしいのだが、物語の構成は1920年代でもうこれほどの脚本の展開力のあるものが存在するのかと正直驚いた。それほど私的にはよくできているプロットだと思う。

映画が始まると最初はそりゃむかーしむかしの白黒無声映画なのでそんなに惹きつけられるものはなかった。しかし、同時に楽士(映画の伴奏・ピアノ奏者)によるピアノ伴奏が加わったことにより雰囲気というのか映画の情緒というのか、そういった類のものが一気に湧いてきて、「あぁ今ホラーの世界にいるんだなぁ」とその自然な映画というかスクリーンへの没入に一種の催眠術にたやすくかかってしまったときの恐怖があった。セリフや環境音もない。あるのは劇場内の観客の吐息や椅子の擦れる音やペットボトルの開閉音だけだ。なのにもかかわらず素晴らしいピアノの伴奏があるおかげで、普段なら気になるノイズがその映画の世界の音の一部にも聞こえなくもない。不思議な感覚であった。その初めての映画体験、映画の話を理解するにための重要なヒントは映画の字幕だけだ。私は普段のトーキー映画よりも意識を集中させた。そして即興演奏というライブ感と次に何が出るか分からないその不確定さ、それらが私の不安へと繋がり暗闇も暗闇なのでますます私を怖がらせた。

映画の内容に少しだけ触れるとしよう。最初のカリガリ博士が夢遊病の男を目覚めさせようと言って見世物小屋で観客を呼びこむ(記憶違いだったらすみません)。内心「そんなもん寝てるふりしてればいいだろ!俺でもできるわ。金稼ぎを舐めるな!なんもすごかねえよ!すき家で時給970円でワンオペしてみ?飛ぶぞ!?」と一瞬であれこれ思ってしまったが、目覚めた夢遊病の男が未来をも予知し、実際にその予言が当たるという展開からじわじわと私を引き込んだ。途中、カリガリ博士の悪行が徐々に突き止められるまではよくあるプロットだなと平均的な評価しかしていなかった。が、しかしカリガリ博士がどうしてカリガリ博士になったのかというような展開に移行した時、私には新鮮なプロットでグッと引き込まれ、その時の伴奏(確かホラーの様な禍々しいものではなく、哀愁的な悲しい物語というような感じ)が凄く好きでカリガリが博士たるゆえんというか(そこまでは博士感が薄かったので)博士という職業の悲哀・性(さが)を見せつけられたような気がした。カリガリがカリガリという文字が所狭しと画面に浮かびそれを追うようなカリガリのシーンで私の感情は高ぶった。最高のエンディングだと思った。

しかし、そこで映画は終わらず、最初のシーンに戻ってなんかよく分からない展開になった。(ウィキペディアで見てようやく理解した)。正直私はチャプター最終章の手前でカリガリがカリガリになる決意をするシーンで終わっておけば最高だったなぁと思う。私がディレクターならそのディレクターズカット版を作るだろう。

あと追記するとすれば映画内のセットが興味深かった。ピアノ演奏の鳥飼りょうさんの説明でもあったがポップにする前のティムバートンの世界感の家具的な感じで、ドアが三角形なのが印象的だった。

上映後の楽士・鳥飼りょうさんと劇場のスタッフ?によるアフタートーク。映画の時代背景や作品解説、観客からの質問に答えていました。ピアニストなのによく知っているな~とその映画知識と質問における的確なレスポンスに驚かされました。即興で演奏していたというのも凄い。いったい何者なんだあのメガネのおじさん(褒めてます)。

友人に再び活弁付きの映画に誘われた。今日私は最初、正直ノリノリとは言い難い気分で見に行ったが、いざ観劇するとその映画自体面白く、ピアノ伴奏が自然にスッと入ってきていい味を出していたので私には合っていた。そしてその映画から自主映画のプロットのアイデアが閃いたので行ってよかったと思う。なので今度の活弁付き上映会にも行こうかな~と考えている次第である。

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