努力できない人へ、それが普通だと思う

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思想・哲学

「努力」といえば経験値が倍になる精神コマンドを使う季節になりましたね。

そんなスパロボ漫談はさておき、努力って難しいですよね。社会人になってから特に努力ができなくなりました。資格の勉強とかね。仕事中はしゃあなしに必死に食らいついていきますが、仕事が終わるとひたすらだらけてしまいます。興味のないことを頑張ろうだなんて思えませんよ。それだけ現代人は疲れすぎで余裕がない証拠ですね。

私の場合はトイレに行くとか歯を磨くとかご飯を食べるとかお風呂に入るとかTVのリモコンを取るだとか…そういう基礎的な生活レベルの段階ですらもうだるいのでただの怠け者なだけの気もしますが…

さて、努力とは何なのでしょうか?頑張ること?もっと細かく言えば嫌なこと・辛いことを嫌々でも頑張ることだと私は思っています。そもそも努力を努力と思っているうちはやはり2流なんですよ。一流は努力を努力と思っていませんからね。その境地に至るためにはやはり好きなことをやるしかないのでしょうね。努力と思って辛いと感じることを頑張るのはやはり効率が悪いというか精神衛生上もよくない気がします。

なので一般人が努力するにはそれ相応のモチベーション、見返り、結果、成功体験とか必要というか大事な気がするんですよ。ですが今までの人生振り返ると私って危機感とか強迫観念に取りつかれて努力をするタイプだったと思います。例えばテストで点数を取って褒められたいとかポジティブなモチベによる努力というよりは、今まで高得点を取っていた人間が低い点数をとったら舐められるという危機感から努力せざるを得ないみたいな感じでしか努力できなかった人間なので。

努力できるのも一つの才能とかたまに聞くんですけど、まあ一理あるなとは思いますね。好きなことは誰しも続くかもしれませんが、やりたくないこと苦しいことを頑張って続けるってやっぱり才能というか、みんながみんなできるわけではないのかもしれないと最近考えています。なので他人に努力しろと強制するのって凄く酷な気がするんです。努力で何とかなる部分て意外と少ないんですよね。遺伝にもよるだろうし。

やっぱり私は危機感というか命がかかってないと努力できない性格ですね。時給をたかが20円を上げるためにあくせく働いて努力することにやる気なんか起きないですよね?

結論、努力を努力と思っているうちはまだまだなんでしょうね。努力を努力とも思わずに熱中・没頭する状態が理想なんだと思います。なので努力ができない人、努力できないと嘆いている人、それが普通のなのです。みんな一緒です。努力を努力と思わず楽しくできることを見つけていきまっしょい。

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