滅びゆく立ちションという「文化」

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日記

私たちは刻一刻と文化がついえていく時代に生きている

じっか(2024)

※今回はちいとばかり汚ねえ話でございやす。堪忍しておくれやす。

それは、今働いているバイト先でのトイレの中で起きた。

私は普段は家で用を足すときはもっぱら立ちである(ストリップ劇場はもっぱらだけどね)。

家での習慣のごとく便器を前にして立つ。さてチャックを下ろそうとジッパーに手をかけたとき、目の前に入ってしまったのだ。アレが。

「立ってするの禁止」

私はぎくりとした。「勃起して」をあえて「立って」と濁して書いていると思いたかったが、そんなわけはないのでやはり座して用を足さなければいけないという状況に少しばかりか苛立ちを覚えた。

「畜生め!この会社にダイバーシテイという概念はないのか!?遅れてやがる!」

ここで労基にチクってやろうかと一瞬血迷うが、「立ちションの多様性を認めろ!」などと叫ぶのは明らかにアホなので言論の抜刀はできない。

私の推測では尿が飛び散らず掃除が楽だから座ションを強制しているようだ。

自分から選択するのならまだしも排尿のスタイルを強制されるのはなんとも腹立たしい。

そういえば近年、便座に座らないと小便ができない子供がいるというのをママさんパートから聞いたことがある。が、まさかもうこんな身近な所まで来ているとは思わなかった。立ちションができないなんてのは大都市の私立に通ってるようなガキたちの奇病だとどこか自分の生きている世界とは関係のない話だと勝手に思っていたからだ。

仕方なく私は、ベルトを外しズボンと下着を下げて腰を下ろした。

嗚呼、面倒くさい。

私は後ろのぽっけに物を入れない主義だが、もしそうであるならば何度もケータイだの財布だのを水没させていたことだろう。全く、座排尿なんぞいいことなんて一つもないじゃないか!

そして一つ困ったことがあった。

そう、座って排尿をすると残尿がエグイのだ。これは座ションだからか私の体の欠陥かどうかはわからない。(もしや前立腺が肥大している!?)

そしてこれはIFの話であり男性にしかわからにであろうが、イチモツがsooooo longであった場合、便器にタッチしてしまうのではないかという危険があるのではないか?そう考えたときにやはり立ってした方が身体的には衛生的である。

立ちションが座ションへ変遷していく。人間の排尿とはまさに文化であり、そして文化とはいつしか消えていくものである。私たちは文化を生んだり消したりしてこの儚い世界に生きているのである。

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